美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

美術の力

楽しみにしていたコナンの映画をレイトショーで見に行きました。

 

スタッフクレジットを見ていたら、友達が勤めている背景画を制作する会社の名前が出てきたので目を凝らしました。すると、友達の名前が!

すぐに連絡すると、名前を見つけたことを喜んでくれました。

 

高校や大学の友達、全ての人といつも連絡をとっているわけではありません。それでもどこかで元気にしていて欲しいとぼんやり思うわけです。

こうやって活躍を知れて嬉しく思います。

 

この先も人のがんばりを嬉しく思える人生だといいなと思います。

 

すべてのものに誰かが魂を込めて作っているはずなんです。映画はもちろんそうですが、例えば、いらないなーって思うポストに入ってるDMや、何気なく見てる商品のパッケージだってそう。「全てのものに美術が関わっている」と、中学生のときに絵を教えてもらった先生が言っていて、心が動いたことを思い出しました。どんなものにも誰かが魂を注いで作ったと思うと少し世界が変わって見える気がします。

疲れてくると視野が狭くなりますが、広く豊かにものを見ようと改めて思います。

 

(コナンを見に行く方、ぜひ背景画にもご注目を!)

 

プルスウルトラ

今日は始業式。

今年度は昨年度と同じ4年生担任です。

 

昨年度は正直毎日来ることで精一杯でしたが、今年度はがんばることが3つあります。

 

1つ目は、異学年交流を増やすこと。希望して特活部に入れてもらったので、チャンスを活かします。

 

2つ目は、この人と組んで良かったと少しでも思ってもらうこと。

 

3つ目は、うーん。なんて言ったらいいかわからないのですが、たぶん、やっぱり、子どもを信じ続けるということです。

 

指摘が多くなったり、ゴーンと叱ったこともありました。はいどうぞができなくなった時もありました。それでもこどもたちは、自分たちで達成する授業は楽しかったと最後まで言っていました。それで助け合うことが何か考えられたと言っている子もいました。

 

信じて任せてもらうことはきっと嬉しい。私もそうです。2年目になり、

仕事が増えて、任せてもらうことも増えて、大変だけれどそれが嬉しい。失敗することは承知で、きっと任せてもらっています。それでも任せてもいいって思ってもらえることが嬉しい。

 

つながるっていうのは、自分で関係を築こうとすることだったり、違いを面白がったり、多分そういうことだったと思う。

 

失敗してもいい、そんなところもあっていい。だから一緒にがんばろうよ。

失敗しちゃった、こんなんでごめん。でも一緒にがんばりたい。

 

そんなふうに思えるのがきっと居心地のいい場所だと思うます。

 

子どもたちに願う居心地の良い関係を、職員室やプライベートでも続けていけるように。

 

おだやかで

おおらかな性格

たましいがこもっているので

なにごとにも全力

ぎんぎらぎんに輝く

 

おおたなぎです。

 

今年度もよろしくお願いします✌️

最後の日

冬といえばそう、インフルエンザ、インフルエンザです。

インフルエンザにかかってしまい、大切な1週間、自宅生活を余儀なくされてしまいました。

終業式、卒業式。ああ、参加したかった。そんな気持ちはもちろんありますが、「きっと子どもたちは大丈夫だ」という絶大な信頼を寄せていたと明日伝えたいなと思います。

 

一年はあっという間でした。あんなことやこんなことがありました。こんなにかわいいこの子たちと、あんなことやこんなことを、もう、積み重ねられないのです。

さみしい?さみしいです。子どもたちがかわいいから。けれども、私の手が離れても、幸せであってくれればそれでいいから。そんなふうに言ってきたはずだから。さみしいとは少し違うのかもしれません。

最後の日であっても、きっと言うことは4月から同じです。

ちょっと目がうるうるするのは、今この文を書いている間だけとします。

 

 

次は何年生

クラスで凪先生は次何年生の担任なんだという話題が出ました。

「1年生だとおもう!」

その声に「あーわかる!」「ぽいよね。」なんて反応もあるなか、ある子がこんなふうに言いました。

「先生はどこでも仲間を作れるように、人との関わりが大事って教えてくれたから、それを一年生から知ったほうがいいと思うから一年生担任がいいと思う。」

「そうじゃん、早いうちに知ってた方いいよね」

 

おお、そんなふうに思っていたとは。びっくりしました。

 

それに対して、「いや、それなら6年生がいいと思う。人との関わりが大事っていうなら6年生が教えてあげたら全校に広まるから。」

 

なるほど、全校規模にすることを考えてる猛者もいます。職員会議に子供達を呼んだほうがいいんじゃないでしょうか。なんて。

 

でも私は思います。そこまでわかってるんだったら、次の一年生や六年生じゃなくて、あなたたちが他の学年にその姿を見せて教えてあげることがきっとできる。なんなら、この先の人生でずっとそれができる。

私の目の前にいる間だけじゃないのが、いい。

でもこの子達に、もっと先だ、人生を見よう、長い人生で何が本当に幸せにつながるのか、と直接話すことができるのは、あと少しです。

可愛がられる子

六年生を送る会の準備を進めています。

 

「六年生に恩なんてないんだけど」

そんな声もありますね。なるほど、と思います。嫌な思いをしたことがあるんだそうです。

 

それでも、四年生担当のお花のアーチ作りをやらない人はいないし、歌を歌わない人はいない。

 

誰かが言いました。「見えないところでみんなが6年生のお世話になってるんだよ、委員会とかで」「全員じゃなくてもお世話になった人のことを思い浮かべたらいいんじゃない?」

 

周りの友達にそんなこと言われたらやらないわけにいかないのでしょう。滞りなく進んでいますが、それだけでいいのか?

 

 

六年生を送る会準備を見ていて、気づいたことがあります。

6年生に可愛がられている人と、そうでない人がいる。可愛がられている子は6年生に頼るのがうまいです。可愛がられたから頑張りたい。

それが素直にできない子もいますよね。そうなると6年生に対して嫌な思い出が残る。急に感謝しろと言われても、癪ですよね。もしも本当は可愛がられたいとしても、そのやり方がわからない。

 

可愛がられスキルがあるとしたら、やはり5つの挨拶でしょうか。

「おはようございます」「ありがとうございます」「すみません」「お先に失礼します」「何かできることはありませんか」

5つの挨拶を子ども風(上学年バージョン)にするとどうなるだろう?

 

「おはようございます」「ありがとうございます」「ごめんなさい」「さようなら」「教えてください」

これだったらできそう?どうだろう?

周りがやっていたらできるかもしれない。

 

今の6年生に対してどうこうではなくて、この先も「可愛がられた方が得だ!」と感じる人がいるといいなと思います。六送会準備をしていて、そんなことをどこかで話してみたいという発見がありました。

 

命と学習

総合の学習でサケの稚魚を育てています。

 

「先生、動いてないサケが、いっぱいいる…」

 

子どもたちは丁寧なお世話をして頑張ってきましたが、三連休で餌が足りなかったのか、たくさんのサケが死んでしまいました。

 

お亡くなりになったサケの体を取り出して、土に埋めてお墓を作りました。

 

ある子が言ったことを思い出しました。

「死ぬかもしれないのに、なぜ育てるの?」

その時はうまく返せなかった気がします。

 

子どもたちがサケを育てるのは、いくつか目的があります。

放流したサケがまた帰ってくるために、どんな川であるべきかということを考えたり、サケが川に戻ってくるように、いつか巣立っていく子どもたちも地域に帰ってこれるふるさとを考えたりといった、様々な学習が考えられています。

 

それでも、サケが私たちの都合で狭い水槽に飼われて、その中で死ぬこともあるというのが、私はすごく複雑な気持ちになりました。

 

もちろん、自然の中でも弱いサケは淘汰されてしまいます。共食いもするし、環境に適応できなければ死んでしまいます。そう言った要因もあると思います。

 

人間は、多くの場面で生き物の命を握っています。家族として世話をしたり、勉強のために育てたりもそうです。

そして、命を食べて生きています。豚や牛、たくさんの命を毎日食べています。

それなのに、サケが死んでしまって、突然人間の勝手さを感じるのです。

 

命を食べて生きなければいけないことと、人間の勝手さの間でゆらゆらといろんなことを考えています。

 

こんなふうに答えのないことが、この世にはきっとたくさんあります。

 

答えのないことを考えて考えて、考えて、気づいたら死ぬのが人間なのかなと思ったりしました。

 

サケの死から、子どもたちはどんなことを考えるのだろう。

 

なんだか

はいどうぞを一時休止中にて、算数でした。

一つの面に対して、垂直な面と平行な面の関係を調べるところでした。
まず垂直と平行ってどういうのだったかを確認しました。

「平行はいくら線を伸ばしても交わることがない関係だ」みたいなことを誰かが言うと、別の誰かが、「ねえ先生それって、すれ違いだ」「人間関係みたい」「遠距離恋愛だ」「仲悪いってこと?」なんて言い始めます。なんじゃそら!

「そしたらさあ、垂直はラブラブってこと?」
「「ああ〜」」
ああ〜なんだ?わかるんだ??

「じゃあさ、垂直な面っていうのは、この面と仲良しな面がいくつあるかってことだよ」
「ねえ先生、4つあるじゃん、くっついてるのがここ、ここ、ここ、ここ。」
「先生それ4股だよ、悪いやつだ!」

「じゃあ、仲悪い面は一つしかなくない?」
「「ほんとだ」」

仲良しが4つ、仲違いが1つあるとわかったようでした。
なんでこんな授業になったかはさっぱりわかりません。予測不可能です。
面白い子にとっては面白い。子どもにとってはきっとチャーミング。でも、置いてけぼりの子がいるのが私にとってはモヤモヤモヤモヤ。

そっと、「みんなが、仲良しさんの面を、見つけられてるのかな」と、つい、つぶやくと、そそそそと動き出しました。

でもやっぱり、違和感。
昨日友人と話したことですが、私たちは人と関わって欲しいんじゃなくて、人と関わろうとする心を育てたいんじゃないかって。

10年、20年後もこのクラスの子達が仲間であってほしいというより、どこに行っても仲間を作れる心をもってほしいというか。

はいどうぞ、の方法じゃなくてもいいのかもしれない。でもまだちょっと掴みきれてない。でもなんか掴めそう。そんな三連休前の金曜日です。