総合の学習でサケの稚魚を育てています。
「先生、動いてないサケが、いっぱいいる…」
子どもたちは丁寧なお世話をして頑張ってきましたが、三連休で餌が足りなかったのか、たくさんのサケが死んでしまいました。
お亡くなりになったサケの体を取り出して、土に埋めてお墓を作りました。
ある子が言ったことを思い出しました。
「死ぬかもしれないのに、なぜ育てるの?」
その時はうまく返せなかった気がします。
子どもたちがサケを育てるのは、いくつか目的があります。
放流したサケがまた帰ってくるために、どんな川であるべきかということを考えたり、サケが川に戻ってくるように、いつか巣立っていく子どもたちも地域に帰ってこれるふるさとを考えたりといった、様々な学習が考えられています。
それでも、サケが私たちの都合で狭い水槽に飼われて、その中で死ぬこともあるというのが、私はすごく複雑な気持ちになりました。
もちろん、自然の中でも弱いサケは淘汰されてしまいます。共食いもするし、環境に適応できなければ死んでしまいます。そう言った要因もあると思います。
人間は、多くの場面で生き物の命を握っています。家族として世話をしたり、勉強のために育てたりもそうです。
そして、命を食べて生きています。豚や牛、たくさんの命を毎日食べています。
それなのに、サケが死んでしまって、突然人間の勝手さを感じるのです。
命を食べて生きなければいけないことと、人間の勝手さの間でゆらゆらといろんなことを考えています。
こんなふうに答えのないことが、この世にはきっとたくさんあります。
答えのないことを考えて考えて、考えて、気づいたら死ぬのが人間なのかなと思ったりしました。
サケの死から、子どもたちはどんなことを考えるのだろう。