サイゼリヤで食事をしている画像がTwitterでここ何日かよく見かけます。
最初は格安で美味しいサイゼで豪遊するのが流行ってるのかと思いました。
しかし、調べてみるとサイゼリアという安いお店でも喜んでくれる女性が素敵だ、という趣旨の漫画に対して議論が繰り広げられていることによるものだとわかりました。流れてくる画像をよく見ると「サイゼリヤで喜ぶ彼女」というタイトルがついていたりします。
サイゼリヤにどんな価値をおいているかにもよりますが、相手との関係性次第な気もします。どんな場所でも楽しめる相手だったり、お店じゃなくて誰と行くかが大事だったりもします。
お店選びって、センスを問われるようで少し怖い時もありますよね。
大切な日だったり、先輩、偉い人、お客様とか…少し緊張する相手だと尚更です。
「サイゼリヤで喜ぶ彼女」に価値を見出す人は、安いお店でも楽しんでくれるんだという、場所自体ではなく自分といる時間を楽しんでくれたりすることが嬉しかったり、お店選びのセンスに左右されない安心感などがあるのかもしれません。予想です。
ただ、私は「誰と行くかという価値」も「どこに行くかという価値」もどちらもあるのだなと思います。
「誰と行くかという価値」では、その瞬間をその人と楽しめる気持ちがあることで、「どこに行くかという価値」では、相手とどんな時間を過ごしたいか、という思慮があることだと思います。
お店に満足するかどうかは相手の気持ちを想像する努力や、伝える努力を日々しているのかどうかなのではないでしょうか。
誕生日がいつも行く安いお店でも十分嬉しい人もいますし、少しおしゃれなディナーが嬉しい人もいます。
互いを大事にしている関係性があるかどうかに尽きると思うのです。