新潟市のいじめ未然防止フォーラムに参加しました。
「そんなつもりじゃなかった」
「遊びのつもりだった」
「あいつがわるいから仕方がない」
「たいしたことじゃない」
いじめの7割ほどは、これらのシンキング・エラーというものによって引き起こされるのだそうです。
誤った認知でいじめを正当化してしまう、恐ろしいことです。
子供だけでなく、教員でも、「あの子はそうされても仕方がない」というシンキングエラーを引き起こす可能性もあります。
新潟市には、道徳科や学級活動で取り組む「いじめ未然防止に向けた教育プログラム」というのがあります。
それらの実践を知りましたが、やはり最終的には私たち教員と子供たちが「長期的に物事を考えられること」が要ではないかと思いました。
例えば、人を無視するとどうなるか。
無視の対象になった人はそれはそれは悪いことをし、された方は怒っているとして。
だから無視してもいい、なんなら無視でもしてわからせたほうがいいか。
はたまた、無視はやりすぎか。
そのどちらかを聞くと、子どもの8割くらいは、「嫌なことをされたなら無視しても仕方ない」と答えるのだそうです。それは一時的な怒りに任せた短期的な感情です。
けれど、無視を続けるとどうなるかを長期的に考えると、集団として嫌な気持ちが続きます。いいことがありません。次に無視されるのは自分かもとすら思います。
どんな理由があっても人をいじめてはならないのは、その人の人生に影響がある、それもあるけれど、集団にとっての得がありません。
それは長期的に考えないとわからないことではないでしょうか。
しかし、学校や教員に余裕がないと、今その場をどうにかするのにいっぱいいっぱいになります。私たちが切羽詰まっていて、何かに追われ続けていたら、長期的になんて考えられないでしょう。
やっぱり私たち教員の幸せが子どもの幸せにつながるのは間違いなさそうです。
グループディスカッションで教員の余裕について話があがりました。ベテランの先生に、「若い先生ほど、余裕ないんじゃない?どうしてるの?」と聞かれたので、「他の先生とお話しすると、肯定してもらえたり、アドバイスをもらえます。それで、自分を許して安心することにしています」
というと、「いい職場だね〜」といってもらえました。ほんとにそう思います。
帰る時に、一緒に来た教頭先生に「期待してるよ」と、言ってもらいました。
頑張ってではなく、期待してるという言葉。私たちの師の顔が浮かびました。
「いじめをなくせると本気で思って行動しなさい」というメッセージだと勝手に受け取らせてもらいました。
期待してるよの返事は言わずもがなです。