「来年も凪先生が担任がいい」
「もっと凪先生の授業を受けたい」
そんなことを言ってくれる人たちがいます。
先日、午後からの出張が延期になった時も、「午後も凪先生がいてくれて嬉しい」なんて言ってくれました。
私も人間なので、もちろん嬉しい気持ちになります。けれど、どこかひっかかるのは「子供との距離間は適切なのか、介入しすぎているのではないか」という心配です。私の存在がなるべくデカすぎないでほしいのです。
先日校長先生に、どんな先生になりたいですか?と聞かれた時、「私が介入せずとも自走するような学級経営のできる先生です」みたいなことを言いました。が、それはかなり高いレベルの目標かもしれません。
なので、休み時間も忘れ、仲間と集って勝手に学校行事に向けた仕事を進めてたり、授業が気づいたら『学び合い』になってたりすると少し安心します。
担任する子どもたちが私に良い感情を抱いてくれることは、私たちが西川先生が一線を退くことがどこか寂しい気持ちになること、西川先生が好きなことと、同じかもしれません。
西川先生の講義は何度でも聞きたいと思います。西川研究室に居たいと思えます。
西川先生のパンツの色を聞いた人さえいます。
けれど、私たちは西川先生が好きだけど、遊びには誘わないし、西川先生が介入せずとも研究室が回っていました。
学級が西川研究室みたいになったなら、きっと私はその様子を見て教卓でニコニコしてるのです。妄想です。
子どもは麻薬なので、もしかして幻覚を見ているんじゃないかと時折不安になります。その不安を忘れた時に大事なものを失うような気がします。
こどもはかわいい。だからこそ頭を冷やさなければいけないのでしょう。