美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

作る楽しさの本当の意味

今日は友達とポケモンの飾りを画用紙で作りました。

 

今日作ったものは友達の誕生日のお祝いで使うものなので、友達に喜んでもらうというミッションがありました。

 

私はそもそも美大に進学するくらいですので、何かを作り出す時間がとても幸せで楽しいです。

だけど、ミッションがあるから熱が入るのだと常々思います。

 

 

西川先生も「対象」と「ミッション」が重要だとおっしゃっています。

なぜ私は作ることが楽しいのか、好きなのかということを今になって、「誰かに喜んでもらえた経験」のおかげであることに気付かされます。

 

子供達には、図画工作や美術の作ったり描いたりすること自体の楽しさを感じてほしいと初めは思っていました。

今は、仲間と共に誰かに喜んでもらったり、驚かせたり、何かを感じさせるという経験をしてほしい。そして、そこに向かった結果の喜びや感動を仲間と分かち合う経験をしてほしいと考えています。

 

ミッションが達成できればそこに上手い下手は関係なくなります。図画工作の技能は必要だと子供が感じられればその後についてくるものというのが本当は自然かもしれません。自分が造形できなくても、他の誰かと共に作り上げるという豊かさも知ってほしいなと思います。

 

 

ポケモンを作るとき、土台は友達がやってくれて私は細かいパーツ作り担当でした。紙の上から色鉛筆で影をつけたり、ちょっと立体的な表現もしてみました。

その子は前からいろんなキャラクターを画用紙で作っています。私は作り方を習いながらがんばりました。

 

「私一人だったらこんなことできなかった」「凪ちゃんと作ったからこんな表現ができた」

という言葉をかけてくれました。もちろんその子一人で作っていた作品もとても素敵なものです。だけど2人で作ったというまた別の新しい価値も生まれたように感じました。

 

「○○ちゃん喜んでくれるといいね」なんて話しながら、ミッションに向かって頑張る時間はとても豊かなものだったと思います。

 

素敵な時間をありがとう。渡すのが楽しみだね。

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レントラー

 

 

 

 

 

これでいいのだ

やらなきゃいけないことがあるにもかかわらず、うっかり寝てしまった時になんとも言えない罪悪感を感じる人は少なくないと思います。

そんなときに落ち込まない凪流のコツをご紹介します。

 

それは、「今、自分には睡眠が必要だったのだ!」と思うことです。

 

 やってしまったことや過ぎた時間は戻らないので、「これも必要な時間だった」と一旦受け止めた方が残りの時間を大事に使えるような気がします。

 

しかし、私も自分のしたことに対して後悔するタイプの人間でした。

 

「これでいいのだ」という言葉があります。天才バカボン赤塚不二夫)のバカボンのパパの言葉です。

一見諦めの言葉のように感じるかもしれません。私はこの言葉を、今ある自分を受け止めて前に進むための言葉だと捉えています。

 

「これでいいのだ」という言葉に出会ってから、原因を探しつづけたり、過去に思考がとどまっていては前に進めないのだと気づきました。アドラーの「目的論」に似ているかもしれません。

 

どんな状況であれ自分を受け止めるゆとりを持つとなんだか生きやすくなった気がします。

 

 

 

 

 

正解を言おうとしない

教採に向けて面接練習をしています。

 

今日の練習で学んだことは、「正解を言おうとしない」ということです。

「教育は人なり」という言葉の捉え方についての質問がありました。

 

「教育は人なり」について文科省は以下のように言っています。

 

「教育は人なり」といわれるように、学校教育の成否は、教員の資質能力に負うところが 極めて大きいと言えます。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/miryoku/__icsFiles/afieldfile/2009/09/03/1283833.pdf

 

教師の力量によって教育が変わるということでしょうか。

 

私は「教育は人なり」がどういうことなのかよくわかっていませんでしたので、「教師は子どもと共に生き方を考える仕事なのだと捉えます。」みたいな、答えになってないようなことを言ってしまいました。

ですが、面接練習をしてくれた先生はこうおっしゃいました。

「教育は人なりとは、◯◯ということなんだけど、あなたの答えはあなたの中から出てきた言葉で想いがある、そのほうが人間味があって魅力的だから、正解を探そうとしてはいけない。」

 

私の回答はまだまだ未熟なものだったと思います。けれど、自分の中から出てきた素直な言葉を大切にして良いのだと感じました。

 

求められているであろうことやそれらしいことを言おうとしたり、世間でいうおそらく正解であろうことを言おうとすると、途端に魅力が無くなってしまいます。

本当に思っていることや願っていることではないことが伝わってしまい、白々しさや上っ面な印象を感じてしまう。そんな人は信頼し、採用したいとはきっと思われません。

 

どんなにそれらしくかっこよく言っても、本当に思っていないことは人には見透かされてしまうものなのです。

 

自分が本当に願っていることを自分の言葉で伝えられることが、信頼を得る一つの要素だと感じます。そして強く願い続けるということが、その言葉に重みを持たせると思います。

 

適当なことを言うくらいだったらはっきりわからないと言ったり、てたくそでも本当に思っていることを言ったほうがきっと人間味があります。

 

自分自身の思いや願いから出た言葉に責任を持つことを忘れずに、毎日を生きていきます。

 

サウナ奮闘記

「サウナ」…それは私にとって地獄のようなアツアツの部屋であります。


私のサウナ最長記録は4分です。


サウナ時計なるものがありますよね。あれって12分で一周するんだとか。

以前そのことを知らず、普通の時計だと思っていた私は、0のところから4のところに進むまで耐えました。20分も耐えた、そう本気で思っていたのですが、たった4分しか耐えられなかったその事実を知り驚愕したものです。


サウナの中は時が進むのが遅いと思います。

1分もすれば息が苦しくなり、3分立てば死を感じます。


私にとってサウナは苦行でしかないということがお分かりいただけたと思います。


令和4年2月6日20時。1人でふらっとお風呂屋さんに来た私はサウナの前で友人のある言葉を思い出します。


「限界まで入ってみ、トブぞ。」


トブ…とは何なのでしょうか。その感覚に興味を覚えました。

また、昨年の流行語「ととのう」も同時に思い出しました。サウナ、水風呂、休憩を繰り返すことで、心身ともに「ととのう」のだとか…。


トブ、ととのう、その感覚が知りたくなり、サウナという名の地獄に足を踏み入れたのです。


そこには猛者たちがいました。


アツアツの床で横になって寝ている貫禄のある御夫人や、なぜか立ったまま仁王立ちをしている、さながら武蔵坊弁慶のようなお姉様がおりました。


明らかな場違い、アウェー感。

サウナレベル1の私は、じっと身を潜め、耐えるほかありません。


時刻は20時9分。テレビがついている。

CMが長い…!しかし、CMが終わればきっと面白いバラエティが待っているはず…!

そしてCM明け。待っていたのはなんとスキージャンプの実況…

好きな人にはごめんなさい、私が今待っていた番組では無かったのです。笑って苦しい呼吸を誤魔化せる番組を待っていたのです。

私はテレビではなく、時計を見つめることしか出来なくなりました。


そんなことを考えているうちに、時刻は20時13分。気づけば4分経ち、なんと、最長記録に並んだではありませんか。

あと1分でも超えられたら、前の私を超えられる。

謎のチャレンジャー精神が目を覚まします。

しかし、私はすでに死を感じ、三途の川が見えていました。

なぜ人はこんな思いをしてまで、トビたいのか、ととのいたいのか。人は、何かに耐えぬいたその先に素晴らしいものが待っているということを知っているのだろうか。ならやって見せようじゃないか。


20時15分。

最長記録を2分も更新し、限界を迎えた私は地獄から飛び出した。


私は何かを乗り越えたような気がしました。

前より2分も多い6分も耐えることができたのです。

少しの挑戦でおおきな達成感を得られるのが私の単純でいいところだと思います。


でも、まだトブには早かったようです。まだ、限界を迎えていないということでしょうか。


もし次またふらっとお風呂屋さんに来ることがあったら、またチャレンジしたい。そう思いました。


サウナレベルが2に上がりました。


かわいいゴリラ

地元の親友がお付き合いしている方と結婚に向けて同棲することになりました。

それはそれはラブラブです。

 

毎日のように送られてくる惚気話が私の楽しみでもあります。

昨日の惚気話ではこんなことが書いてありました。

 

「付き合った頃は『かよわくてかわいい女の子』って言ってくれたのに、最近は『かわいいゴリラ』って言われる!!」

 

『かわいいゴリラ』に思わず吹き出してしまいました。

付き合っていくうちにその子のかわいいところだけじゃなく、変なところもたくさん知ったのでしょう。ゴリラな部分があったのでしょう。

 

「かわいい」はきっとその子にとって褒め言葉であり、誰にとってもプラスの意味に捉えられると思います。しかし女の子に対する「ゴリラ」は一見嫌な言葉ですよね。

 

だけどその子のかわいいところだけじゃなく、ゴリラなところも含めて好きだ。かわいい子が好きなんじゃない、その子だから好きなんだ!という気持ちが「かわいいゴリラ」には詰まっているような気がします。

 

それぞれの人に変なところがあると思います。一見ダメなようなところも、面白がるというか、楽しむ目線があるとその人自身のことがもっともっとわかったり、好きになれるのかなと感じました。

 

何より私の親友が、変なところも含めて愛してくれる人と出会えたことに胸がギュッとなりました。

 

つながる力に助けられたおバカな話

今日のゼミの掃除の後、シュレッダーをかけた紙のゴミを捨てに同期と学部生と3人で廊下を歩いていました。

 

同期が急にラグビーしようぜ!!」と言い、紙のゴミの入った袋を私に投げ、私も楽しくなってたいへん力強くキャッチしました。

 

 

まあ、なんてことでしょう。

指が袋に刺さって穴が空いてしまったのです。

このまま指を抜けば穴から細かく裁断された紙があふれて大惨事。

 

 

いい歳をした私たちはあたふた。

しかしラッキーなことに事故現場は他の研究室がたくさんある場所でした。

 

同期が即座に、「知り合いを見つけてテープ借りよう!!」と言いました。

そして研究室を訪ねると運良く知り合いがゼミ室にいたのでテープで穴を塞いでもらいました。

「バカなの?」と笑いながら言われました。バカです。

その研究室のゴミも持っていってあげました。

 

 

すぐに人を頼る選択をとり、そして助けてもらえることが私たちの研究室っぽいなあと思います。誰かを頼る力が自然と身についてるのだなと。

そして同期の行動の速さも素晴らしいなと思いました。

 

西川研究室に入る前の私だったら、こんなくだらないことで人を煩わせるのをためらって、5階から2階まできたのにまた戻って自分でなんとかしたでしょう。

 

こんな小さなくだらないことでもつながりって素敵だなって思える日々を送っています。わたしはとても幸せです。

 

おじさまのギャグは拾うべし

西川研に入って多くのことを学んでいます。

今日学んだことは、「おじさまのギャグは拾うべし」です。

 

おじさまというのは、ギャグを言う生き物なのでしょう。そういうものなのです。

どんなにつまらないと思っても、決して顔に出してはいけないのです。そしてそれを受け止める寛容さが必要です。

管理職のおじさまと良好な関係を築くには、死に物狂いでギャグを拾うのです。それはまるでバレーボールのごとくです。

 

ギャグを落とさず繋げることは、おじさまと繋がることなのです。