美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

上越には美味しいラーメンがある

早いものでもう3月です。

 

今週は卒業してしまう先輩方を含めてたくさん遊んだ週でした。

カラオケに行ったり、岩盤浴に行ったり、ラーメンを食べに行ったりです。

 

私はとても幸せなことに、入学してから多くの先輩にたくさん遊びやご飯に誘ってもらいました。

 

とりわけ、ラーメンはなぜだか特に印象深いのです。

 

その理由をまじめに考察してみました。

 

①ラーメンは気軽に誘いやすい・行きやすい

焼肉より飲みよりもラーメンは初めてご飯に行く人でも誘って行くのにちょうどいいのかもしれません。

上越には美味しいラーメン屋さんが多い

美味しいラーメン屋さんが多いので、「ここは美味しい!」というのを紹介しやすいし、自信を持って連れて行くことができます。そしてどこも実際に美味しいです。

③ラーメンが好きな先輩が多い

ラーメン熱が高い人が多い気がします。たまたまか。

 

①②③と挙げてみたけれどこれだけじゃない気がします。

美味しいラーメンは誘いやすく、そのラーメンが好きな人が多いのはなぜか?

第4の考察を挙げてみます。

 

④先輩たちが代々連れて行ってもらった美味しいラーメンを食べさせてもらった

きっと美味しいラーメンを知ってる先輩たちはそのまた先輩から教えてもらったので知っているのではないでしょうか。

なんだか印象深いのは「美味しいラーメン屋さんは教えてもらって知ることができるもの」と私が感じているからかもしれません。

 

きっと先輩に連れて行ってもらわなければたくさんのラーメン屋さんに行くことも知ることもなかったと思います。

 

私も後輩が入ったらきっとラーメンに誘うんだろうなと思っています。

卒業する先輩たちはその頃には教壇に立っていますね。

 

なんだか書いていてさみしくなってしまいました。きもちは塩ラーメンです。

 

 

 

キャリア教育と『学び合い』

本日は月末の上越『学び合い』の会がありました。

全国の現職の先生や、大学生とお話をすることができました。

 

今回のテーマは「キャリア教育と『学び合い』」でした。

今日お話ししたことで気になった話題をいくつかまとめてみます。

 

・ドイツの子供は10歳で自分の人生を考える?!

ドイツでは10歳の時の成績や、才能などを考えて職人を養成する学校と大学に進学するコースに分かれるそうです。

日本人の感覚だと、え、10歳で人生決めちゃうの?と感じるかもしれませんね。だけど遅かれ早かれ誰しもが人生、生涯を見通して考え、選択しなければいけない時がきます。職につき、お金を稼いで生きていくには誰かにとって得である人材である必要があります。

日本にも職人向きの子もいれば、大学で何かを突き詰めて行くのが向いている子もいるはずなのに、全ての子供が同じ勉強をして、みんなで同じようなレベルにすることが求められ、より高い偏差値の学校に行けばより幸せになれると思っている人が大多数います。

早くに人生を見通して生きてく力をつけるドイツのシステムは日本にはない価値観ですね。

しかし、私たちには教育のシステムを変える力はありません。私たちにできることな何なのでしょうか?

 

・自分なりの幸せを見つける必要がある

日本にしろ、ドイツにしろ、選んだ道を正解にできなければ生きづらさを感じたまま生きていくことになってしまいます。

他の人と比べた幸せではなく、自分なりの幸せを見つけるにはどうしたら良いのでしょうか?

 

学校という、多様な子供がたくさん集まる場だからできることで考えてみると、友達と対話する時間や、互いの力を貸し合うような時間を充実させることが大事ではないかと思います。

他者の中に身を置き多様な価値観に触れることで、自分ができることや自分の大事にするものが見えてくるかもしれません。他人がいるからこそ自分の輪郭が見えるのだと思います。

学力を身につけるのであれば、カリスマ授業をネットで見るので十分。それは学校でなくてもできることで、学校という他人と過ごすという場所だからできることを考えていくべきだという議論がありました。

 

・幸せは縛りがあるからこそ見出せるもの

お金も、人のしがらみも何もなく、なんでも好きに決められるとしたらどうしますか?

一見自由で楽しそうに見えるかもしれませんね。

 

しかし、何かを決める時にはきっと軸が必要です。

それは家族や友人、恋人の存在かもしれないし、お金かもしれないし、それが時に縛りになることもあるでしょう。

それでも、自分が幸せに生きていける軸を自分が持っている選択肢の中から自分で選ぶ必要があります。

縛りの中で幸せを見出すのも一つの選択だし、縛りから抜け出そうとするのもそうです。みんな何かしらの縛りがあるからこそ幸せの道を選べるのでしょう。

縛りのせいで人生を悲観するのではなく、「さあここからどう幸せになってやろうか。」くらいのテンションがいいのかもしれません。

 

 

まとめ

トータルして、キャリア教育では「自分なりの幸せの価値を見つけられるかどうか」ということが重要になってくるのだとわかりました。そして、そのためには他者の存在が必要で、他者との繋がりで見出せるものです。

ポッと何かやったから子供が理解できるというものでもなく、日々教師が多様な価値観を認めそれぞれの幸せを肯定すること、そして子供同士で互いを認め合うということにつながるよう語っていくことが大切なのだと改めて感じます。毎日がキャリア教育ですね。

 

苦手なことに挑戦する勇気が出た理由

今日は今年2回目のスノーボードに行きました。

今年2回目というか、人生で2回目です。


スノーボードを始めたのは友達が誘ってくれたことがきっかけです。


私は本当に運動が苦手なので、スノーボードは勇気を出した挑戦ではありましたが、勇気を出せたのには理由があります。



上教大に来るまでは、運動を誰かとやることにすごく抵抗を感じてしまっていました。

私みたいにできない人がいたらゲームが楽しく無いかもしれない、教えてくれるけどみんな本当は嫌かもしれない…みたいな思考が生まれてしまうのです。


もしかすると小中高の間で、運動が苦手だからゲームに入れてもらえなかったり、体育祭でできることがなくて疎外感を感じたり、と言った経験から「できないといけない」「迷惑をかけてはいけない」といった呪いを自分でかけてしまったのかもしれません。




上教大に来てから、親睦も兼ねたゼミでのスポーツ大会もたくさんありました。最初はスポーツか…とちょっとドキドキしていました。

でも、勝つことが目的じゃなくて楽しむことが目的ですから、できなくて怒る人なんていないし、楽しもうと思うと私も「コツ教えて!」と気軽に言えて、そして誰もが教えてくれました。できないことは頼っていいし、それを拒む人はいないとわかりました。


つまり、「みんなで楽しむ」というミッションのおかげで「誰かを頼っていい」ということの理解と、「人を信じる」と言う気持ちが生まれたことで呪いを解くことができたのです。


とはいえ、呪いの片鱗がたまに出てくることもあります。だけど、絶対私を見捨てない友達の存在が打ち消してくれます。

自分でかけてしまった呪いはとても生きづらくしてしまいます。だけどきっとその多くは誰かの力で解くことができます。

スポーツに限らず、互いの力を貸し合える課題(ミッション)を経験することが「頼る」「助ける」ということの価値の理解につながると思います。
私自身も西川研究室に入ってから、互いの力を貸し合う経験を通じて多くの生きづらさを解消することができました。自分の経験をもとに、一人も見捨てない関係性が素敵であることをきっと語れると思います。
信じ続ければ、気づく子供は必ずいます。
子供を信じて願い続け、行動し続ける教員になります。


どんな道でも幸せになれる

高3の弟が来週大学の二次試験受験を控えています。


共通テストの結果をふまえ、選んだ大学は第一希望にしていた大学とは違うようです。


だけど、弟は「どんな道でも僕は幸せになれる自信がある」と言っていました。


その言葉を聞いて、弟には生き抜く力があるなと思ってとても誇らしく思いました。

大学なんて行ってみないとわからない、仕事もやってみないとわからないということを理解していて、選んだ道を正解にするという意識があるのだと思います。


それでもきっと、将来のことを考えると心は不安な気持ちでいっぱいだと思います。


高3でどんな道でも幸せになれると言いきれる弟は、本当に幸せになれると思います。そうあって欲しいと私も強く願います。


一方私は将来の選択で決めきれないことがあります。

この前のゼミで西川先生が決めきれないことは「神様に決めてもらう」ということを話してくださいました。

その道が自分の進むべき道だったんだなぁと思えばその道を正解にしていく意識が持てると思います。


「どんな道でも幸せになれる自信がある」と言える弟を尊敬しつつ、自分もそういうスタンスでいてみようと思うと少し心が軽くなりました。


受験は集団戦

「受験は集団戦」という言葉がありますが、強くその意味や価値を感じています。

 

私は教採に向けた勉強をゼミ室でしています。

 

私は数学が大の苦手です。高1の時に美大の受験を決め、センター試験の受験科目で数学を使わないことがわかってからさっぱりやめてしまったのです。クラスでいつもビリか下から2番目をさまよっていました。

 

今になって数学を使うことになり、大変焦っています。

だけど、「これわからんー」と呟いただけで、周りにいる誰かが「どれどれ?」と見にきてくれます。今日は3人がかりで解き方を教えてくれました。

 

私たちの部屋は西川研究室だけでなく、たくさんの研究室の人が集まっている部屋です。

多様で多数の人が集まる楽しい部屋です。そしてそれぞれの得意を持っています。

それゆえに、この部屋で勉強することが、私にとって教採対策に最も良い環境と感じています。

 

何より、教えてもらえるだけでなく、頑張ろう!と言い合えるのも素敵なのです。

 

 

また、私は教えてもらってばかりなので、自分は何ができるのかな、と考えています。

専門が美術なので、図工のことはわかるかもしれないし、普段の生活でもっと周りのみんなを助けられるように視野を広く持ちたいです。

そして、私は勉強が得意な方ではないのですが、みんなで教え合えるくらいにもっと勉強したいとも思います。

 

「みんなのためにも自分も勉強する」という意識が生まれた時に集団で勉強することの価値を感じました。

 

もちろん1人で勉強する方がいい人もいるでしょうし、それぞれに合った勉強法があると思いますが、自分がいつか担任を持った時に、私の経験を元にして互いの力を貸しあい、高めていくことのできる集団の素晴らしさを伝えたいと思います。

 

 

 

関係性その2 サイゼリヤ

サイゼリヤで食事をしている画像がTwitterでここ何日かよく見かけます。

最初は格安で美味しいサイゼで豪遊するのが流行ってるのかと思いました。

 

しかし、調べてみるとサイゼリアという安いお店でも喜んでくれる女性が素敵だ、という趣旨の漫画に対して議論が繰り広げられていることによるものだとわかりました。流れてくる画像をよく見ると「サイゼリヤで喜ぶ彼女」というタイトルがついていたりします。

 

サイゼリヤにどんな価値をおいているかにもよりますが、相手との関係性次第な気もします。どんな場所でも楽しめる相手だったり、お店じゃなくて誰と行くかが大事だったりもします。

 

お店選びって、センスを問われるようで少し怖い時もありますよね。

大切な日だったり、先輩、偉い人、お客様とか…少し緊張する相手だと尚更です。

 

サイゼリヤで喜ぶ彼女」に価値を見出す人は、安いお店でも楽しんでくれるんだという、場所自体ではなく自分といる時間を楽しんでくれたりすることが嬉しかったり、お店選びのセンスに左右されない安心感などがあるのかもしれません。予想です。

 

ただ、私は「誰と行くかという価値」「どこに行くかという価値」もどちらもあるのだなと思います。

 

「誰と行くかという価値」では、その瞬間をその人と楽しめる気持ちがあることで、「どこに行くかという価値」では、相手とどんな時間を過ごしたいか、という思慮があることだと思います。

 

お店に満足するかどうかは相手の気持ちを想像する努力や、伝える努力を日々しているのかどうかなのではないでしょうか。

 

誕生日がいつも行く安いお店でも十分嬉しい人もいますし、少しおしゃれなディナーが嬉しい人もいます。

 

互いを大事にしている関係性があるかどうかに尽きると思うのです。

 

関係性

南京錠を首にかけている変な友達がいます。奴も西川研です。

 

奴は私に「ボケ!」「バーカ!」「ザコ!」などという幼稚な悪口を言ってきたり、私がエレベーターから出てきたところを驚かせたいという理由だけで遠い教室まで呼び出したあげく、驚いた動画を見て大笑いしてきたり、このブログにいいことを書いてほしいからと突然「今日もかわいいね。」などと言って媚びを売ってきたりします。

 

このやろうとは思います。

 

でもこういうことを許せるのは、日頃の関係性があるからです。

 

互いの頑張りを認め、困ってる時は助け、子どもの幸せについて語り合えるような仲間なのです。

 

何が嫌がらせか、パワハラか、セクハラかは互いの関係性によるのだと強く思います。

 

私「南京錠くん、このブログの最後に一言。」

南京錠「いつもありがとう!」

 

かましいわ!