美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

先を見通すこと

「先を見通す力をつけよう」

 

このことを高校生活を通して強く言われたことが印象に残っています。

 

事あるごとに先生はこのことを話していたと思います。学期が変わる時、何でもない朝の会、テスト期間の時、部活動やアルバイトの話をする時、進路選択の時など、本当にいろんなところに「先を見通す」が含まれていました。それが3年間通してそうでした。

 

学年団の先生たちは「先を見通す力」が私たちの幸せにつながると本当に願っていたからそれができたのだと思います。

 

 

担任は英語の先生で、毎週金曜日に出す英語の課題がありました。

弓道の遠征でその週の分を出せなさそうだったので先に課題をやって遠征前に持っていった時がありました。

今週の分を出さないと、課題が増えて来週大変だと思ったからです。

すると先生が、「そんなことしなさいと言ってないのに、自分で考えて先にやってきたんだ、先を見通せてるね。」と、私の行動に価値つけしてくれたことをすごく覚えています。

 

願いを語り、そして生徒の行動に対して振り返りや価値つけをする。先生の態度はは常に一貫していました。

 

実際に私は「来週これがあるから今これをやっておいて…」とか、少し未来のことを想定して動く癖がついたように思います。

目に見えることじゃなくても、「こんなふうに働きたいなぁ そしたら今こう言うことを知っておいて…」とか、自分の将来のビジョンをふとした時に考えていたりすることに最近気づきました。

 

先生の願いが自分に生きていることを最近自覚しました。

こんなふうにして、私も働き出し、子供に願い、語ったことが、すぐにではなくてもその子たちの人生の中のとある瞬間に「はっ!」となることがあるのかもしれません。

 

教員は未来を、生涯を見通す仕事でもあるのだと思います。

高校の先生が願ってくれた「先を見通す力」が、いつか私を助けてくれるのだと思います。