体育で大縄とびをしています。
「先生、さっき〇〇くんがはじめてとべたんだよ!嬉しかった!」
「〇〇ちゃんはね縄が怖くて飛べなかったけど、縄を回すのがすごく上手だったよ」
「さっき失敗したとき、みんなが大丈夫だよって言ってくれて、安心したの」
飛べた本人より周りが喜ぶ。飛べなくても別の役割を見出す。安心感がある。大縄を使って素敵な活動にしていました。
はじめは、飛べない子にとっては大縄はひどい種目だよなぁなあんて思っていたのです。
小学生のころ、まっすぐ走るのは早かったので親からフォレスト・ガンプと言われていた私ですが、他の運動はさっぱりなので、大縄ではそれはそれは嫌な思い出があります。引っかかった時の「あー」みたいな空気は耐え難いものです。
そんな経験があるので、私は楽しくやることがいかに大事かしか話していませんが、子どもたちは飛べるようになるためにリズムを作ったり(たん・たん・めん、ワン・ツー・スリーとか)、飛びやすい縄の真ん中に印をつけたり、いい空気にする声かけをしたり、工夫をしていました。
子どもたちは、飛べないならしょうがないよね。じゃなくて、どうしたら楽しく飛べるようになるかを考えてしました。
主に算数で型のある『』をしていますが、何も言わなくても他の教科でも勝手に『』なっているのを最近感じます。
新聞係の子に、「先生の後期の目標はなんですか?新聞にのせます」と言われたので、「みなさんの良いところをたくさん見つけて、それを伝えられることです。」と答えました。もっと遠くを見て、この先の人生を見て必要なことを、子どもたちの姿から伝えていきたいと思います。