いろいろあってめっちゃ遅いんですけど、係決めをしました。
この係はいるのかいらないのか議論になったのが保健係でした。
フッ素洗口のやつを持ってくる、怪我をした人を保健室に連れて行くだけだから、いらないんじゃないという意見がまず出ました。
しかしその次に、やりたいと思ってる人がいるなら、その人がやりたい仕事を一生懸命やればいいんじゃないかと言う意見でした。
やりたい人はいました。
一生懸命やれる仕事をやった方がいいよねとなって、仕事の内容を見直すことを視野に、係を残すことにしました。
いざメンバーをかんがえたときに、ほけん係を希望する人は個別学習に通う子達でした。
さてここでも議論が上がります、その子達だけでもいいのか、ということです。
よくよく聞くと、個別学習の時などいない時があるので、そのとき怪我をした人がいた場合、仕事ができない時があるんじゃないかという声が上がりました。その子達も確かに〜といっており、じゃあもう2人くらい追加する?と言う意見が出たまではよかったのですが、
「その子達だけだったらいないも同然じゃん」という言葉がでて、正直ショックでした。それは当事者のこも、周りの子も傷つくだろうと感じて、その言葉について強めに言ってしまいました。
もちろん、「なんで、やりたいことやろうよ、大丈夫だよ」「そんなことないよ」「何人か人を増やせば仕事ができるよ」という言葉が、子どもたちからも上がりました。
子どもの中にある、「この子たちはたすけてあげないとだめなんだ」という気持ちは、誰かや社会の無言のメッセージの積み重ねで、そのように思ってしまっているんだと思いました。それがショックでした。
助けを必要とする人には手を差し伸べることは間違っていません。でも、その人を信じないこととは違います。そのギャップがショックなのです。
「助けを必要とするのは誰もが同じである」ということを、どうか知って欲しいと思うのです。
特別な人はいません。
長く長く見て伝えていけば、きっとわかると、私が信じていけるかどうかだと感じます。