最近、算数や国語だけでなく、特別支援の子どもたちも全員がいる社会でも『学び合い』を始めています。
子どもたちが全員達成への意識が高まったのか、それゆえにこだわり始めているのか、わかりませんが、説明をするところでその子の代わりに誰かが書いている様子がありました。
初めはそれでもいいのかもしれません。
それは参加していると言えるのか、その子がどう思っているのかは、様子を見ていても、振り返り記述でも今の私にはわかりませんでしたが、
「ほっておかれなかった」とは感じていたようです。
しかし、答えを書き写してあげることが、「誰も見捨てていない」と言い切れるのかは、わからないなと思いました。もっと高みへいけるはず。
全員達成は目標だけど、目的になってはいけないと改めて思いました。私の語りのせいかも。
振り返りを見ると、「ちゃんとわかったと思えるように教えたい」と書いてる子が何人かいました。
それって難しいですよね。わかるっていうのは何かは、まだ考えている途中にあると思います。
無理にやらせようとしている子もいれば、「せかしちゃだめだよ」と言ってる子もいます。「ここを見るんだよ」と言っているそばで、ヤキモキして自分で書いちゃう子もいます。
「全員がわかるってなんだろう」「見捨てないってなんだろう」を問い続ける覚悟を持たなきゃいけないのは、私の方なのでしょう。