美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

自分を許したい

時間外労働

 

9月も終わりを迎えそうです。教員になって半年が経とうとしています。

時間外労働が45時間を超えないようにとお達しが出ています。

先月までは40時間ほどに抑えられていましたが、今月は51時間になってしまいました。

出退勤の表を見ると、赤い文字で「規定より超えています。」みたいな表記がでてびっくりしました。

 

心当たりはあって、今月は研究授業や成績処理などがありました。遅く残って帰ると朝が辛くなるので、朝早く行く生活をしていました。

朝早く行きすぎて、ご近所の方に「こんな時間からいらっしゃってるんですね…ご苦労様です、大丈夫ですか?」と心配されてしまいました。

 

もしかすると、全国の先生よりは少ない方かもしれません。中学校や高校の先生と比べると部活もありません。

しかし、今は初任者への配慮で重い校務分掌もない中です。

 

とはいえ、時間外労働はできるだけしないほうが私にはいいと感じています。

残業をする先生を否定したいわけではありません。少ないからいい、多いからダメ、ではないです。要は、その労働環境で幸せだと感じられるかどうかだと思います。

 

たくさんの時間外労働をされてる先生には申し訳ないのですが、私はそれでも時間外労働をしんどく思ってしまいます。(理由はさまざまです。プライベートの時間を豊かにしたいとか、体力的にとか…)幸い、たくさん働くことを押し付けられたことはありませんし、むしろ早く帰ろうね、と言ってもらっています。

 

しかし、この先も時間外労働をする生活を続けていくとこの状況に慣れてしまうかもしれないと思うと怖いのです。

 

以前研修で、「マルトリートメント」の話を聞きました。マルトリートメントは、子どもに対しての不適切な関わりという意味だそうです。

そのお話の中で、どんなに不適切な環境にいても、それがつづくと不適切なのに普通だと思ってしまうのだそうです。

 

それと似ているような感じで、じぶんにとってよくない労働環境にいるのにそれが普通になってしまわないか心配なのです。

 

教師である自分が不適切と感じる環境にいるのに、無理をしてそれが適切だと思ってしまっていると、子どもにも不適切な環境でも頑張ることを押し付けてしまわないか不安を感じるのです。

 

他人への不寛容は、自分への不寛容から来るのだと、以前聞いたことがあります。

 

だから私は、他人を許すために、自分のことも許したいのです。けれどそれがなかなか難しいのは、なぜなのでしょうか。

 

私はこんなに頑張ってたよ。

こんなに我慢してるのに。

このくらいはやらなきゃダメだよ。

 

いつか、そんなふうに思ってしまわないか、人に言ってしまわないか不安なのに。