美しい日

小学校教員になりました。新任です。上越教育大学西川研究室で『学び合い』に出会う。

もう半年

先週の通知表を渡す時間の裏でいくつかのアンケートに答えてもらいました。

「『学び合い』の授業はこのクラスにとって良い影響があると思いますか?」

この問いに、23人中、22人が「いいと思う」に票を入れていました。

「1人も見捨てないことの大切さを知れたから」

「仲間になるために、全員がわかることを諦めないことは大切だから」

そう言った理由が多かったです。多くの人が必要性を感じて取り組んでいるようです。

 

一方、1人だけ「そう思わない」に入れていました。その理由は、「1人、2人をまだ見捨ててしまっていて、だれかを見捨ててしまう時間になってしまうから」でした。

これはなかなか鋭いと思いました。まだ見捨てている現状があると感じていて、そのせいで見捨てられている人が生まれているというのです。

 

では、やらないほうがいいのか。

それでも、「やらないほうがいいとは言えません。」と、言いました。

 

「見捨てられる人が生まれるなら、じゃあやるのやめようと私が言ってしまうと、「1人も見捨てないことはみなさんではできない」と言い切ってしまうことになる。1人も見捨てないを諦めることになってしまう。悲しい人を1人も作らないために、この1時間をどうしたら良いか考えてほしいのです。半年後、みなさんはどんな姿になっていたいですか。どんなクラスになっていたいですか。

たくさんの人がこの時間に必要性を感じています。けれど、まだまだ見捨ててると思ってる人がいます。その人の気持ちを受け止めてどうしますか。」

 

そんなふうに投げかけてみました。

精一杯取り組み、プリントだけでなく補助問題を使ったり、マグネットを確認したり、わからなくて泣いてしまった子に駆け寄ったりしていました。

 

後期初日はこんな感じでした。あと半年、もう半年です。私がしてやれることはこの子たちが「自分たちであればできる」と信じるものを、信じてあげることです。